絆や繋がり

結局、「わりなき恋」は、腰が引け、何日も手が付けられませんでした・・・(^~^;
が、2.5晩で読み終わりました。

社会派ですね。
他人のロマンスに全く興味がないわたくしが、世界情勢の変遷や、芸術的素養まで、じっくりと楽しむ事が出来ました。

伯母が『よくぞここまで描けたと、驚きと共感を抱いた一冊でした。』『久しぶりにスッキリした読後感を味わった気分。』と申しておりましたが、今度、何を以ってそう思ったのか聞いてみたいところです。
わたくしは、ちいとも、スッキリ致しません。
伯母の“日本株式会社”の“専業主婦”という地位が、このストーリーの結末に満足する一因なのではないかと疑っております。
わたくしとしては、吉行淳之介と宮城まり子の様なストーリーの方がウエルカムでございますが、主人公がハッピーエンドでは、売れないのかもしれませんね・・・(^p^)

「絆」や「繋がり」について、考えさせられました。

わたくしが最もそれを感じたのは、クリムトの“ダナエ”を見に行く行です。


『金色の雨になった、神々の王ゼウスがこれほど大胆に太腿を上げたダナエのなかに分け入っている構図は世紀末のこの時期だからこそという感じがするわ。ダナエの表情を見て。恍惚なのか、苦痛なのか分からない(P.301抜粋)』

わたくしは、これを読んでびっくり致しました。
というのも、この絵はわたくしも特に大好きですが、薀蓄はなんとうなしに分かっていたものの、“母親の胎内で完璧な安らぎに浮かぶ子”の様な印象を受けていたからです。

究極のエロスとは、そういうこと:“繋がって得られる完璧な安らぎ”なのかも知れないな、と思いました。
不本意にも、臍の緒を切られてしまったから、必死で、別のもので繋がろうとする。
あの胎内での完璧な安らぎに浮かびたい、母胎回帰願望こそ、究極のエロスなのではないか、その様に感じます。
臍の緒の代替としての絆や繋がりを、人は一生求めて止まないのかも知れませんね。


臍の緒が切られてしまっても、愛の循環は、エターナルなもの・・・それを強く感じさせるものがございます。

○ヴィクトリアン インク壺 母娘○



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深い安らぎに包まれ、他者に無条件の愛を配れるような、そんな気分にさせられます*.。.:*・°