「芸術は爆発だ!」
訪れたのは、この方(自画像↓)の展覧会でございます。
展覧会 岡本太郎 https://taro2022.jp/ ことTARO展!
「えっ?!写真撮って良いの?!」この台詞は、皆さん入口でビックリ仰天されて、同じ様に発していました。
店主がテレビかどこかで耳にした様ですが、同氏は、その人しか楽しめない閉鎖的な個人所有の作品は作らず、公共事業等、みんなで共有することを意図して製作されていた様ですので、その遺志を現代に反映すると、こうなるのでしょう。
同氏の芸術の在り方に対する思いの深さに、感銘を受けました^^
製作者を含む、人と人を繋ぐツールとしても作品が役立っている様に思いました。
不思議に感じたのは、この空間、特に、平面・立体問わず、作品の前に人が立っていても、(遮られて見えない。)(邪魔だ。)とは全く感じず、寧ろ、そこで作品の「完成」と捉えられたことです。
これもやはり、作者の「人々に囲まれることを意図する、囲まれてこその、みんなの作品」という意思を感じ、
写真を撮っている自分もまた、作品の一部となっていることに、一体感と、とてつもない喜びを感じるものなのだ、と気付かされました。
会場の皆さんも、どこかゆったり寛いでいる様で、作者の寛容さが、一人一人に浸透し、一つの作品になっている様でした。
絵の前を腰を屈めて恐縮して通り過ぎるまでもなく、
作品に人々の影が浮かぶことが、
海中で目当ての沈没船の前を、魚が通り過ぎて行った程度の感覚で、
それも海の一部の様な、かえって、趣がある様に感じました。
寧ろ、それでこそ作品の生命感が伝わる、と言うものです。
また、作品の前に集い、自由に語り合う様は、正に作家の意図というか、製作意欲の源かも知れないと感じました。
「芸術は爆発だ!」や「(何が本職なのか?と問われ)人間--全存在として猛烈に生きる人間。」等熱いご発言から、エキセントリックな方という印象を持っておりましたが、
公共事業を次々依頼されるところからして、深く信頼されている、当たり前に、誠実な実務家なのだ、と納得致しました^^
そして、“猛烈に”突っ走っている様でいて、独走ではなく、必ず、他者の存在が念頭にあり、
寛容で、包容力がある方なのだ、と、作品と楽しそうに対話する人々を眺めながら、ふと思いました。
皆さん、自由で、解放されている様で、
本当に生き生きされていました。
わたくし達も♪
展覧会 岡本太郎 https://taro2022.jp/ ことTARO展!
「えっ?!写真撮って良いの?!」この台詞は、皆さん入口でビックリ仰天されて、同じ様に発していました。
店主がテレビかどこかで耳にした様ですが、同氏は、その人しか楽しめない閉鎖的な個人所有の作品は作らず、公共事業等、みんなで共有することを意図して製作されていた様ですので、その遺志を現代に反映すると、こうなるのでしょう。
同氏の芸術の在り方に対する思いの深さに、感銘を受けました^^
製作者を含む、人と人を繋ぐツールとしても作品が役立っている様に思いました。
不思議に感じたのは、この空間、特に、平面・立体問わず、作品の前に人が立っていても、(遮られて見えない。)(邪魔だ。)とは全く感じず、寧ろ、そこで作品の「完成」と捉えられたことです。
これもやはり、作者の「人々に囲まれることを意図する、囲まれてこその、みんなの作品」という意思を感じ、
写真を撮っている自分もまた、作品の一部となっていることに、一体感と、とてつもない喜びを感じるものなのだ、と気付かされました。
会場の皆さんも、どこかゆったり寛いでいる様で、作者の寛容さが、一人一人に浸透し、一つの作品になっている様でした。
絵の前を腰を屈めて恐縮して通り過ぎるまでもなく、
作品に人々の影が浮かぶことが、
海中で目当ての沈没船の前を、魚が通り過ぎて行った程度の感覚で、
それも海の一部の様な、かえって、趣がある様に感じました。
寧ろ、それでこそ作品の生命感が伝わる、と言うものです。
また、作品の前に集い、自由に語り合う様は、正に作家の意図というか、製作意欲の源かも知れないと感じました。
「芸術は爆発だ!」や「(何が本職なのか?と問われ)人間--全存在として猛烈に生きる人間。」等熱いご発言から、エキセントリックな方という印象を持っておりましたが、
公共事業を次々依頼されるところからして、深く信頼されている、当たり前に、誠実な実務家なのだ、と納得致しました^^
そして、“猛烈に”突っ走っている様でいて、独走ではなく、必ず、他者の存在が念頭にあり、
寛容で、包容力がある方なのだ、と、作品と楽しそうに対話する人々を眺めながら、ふと思いました。
皆さん、自由で、解放されている様で、
本当に生き生きされていました。
わたくし達も♪